山形県の「おくのほそ道」松尾芭蕉ゆかりの地

山形県 芭蕉ゆかりの地

山形県のホームページ制作「東北ウェブ」が、山形県内の芭蕉ゆかりの地をご紹介します。

松尾芭蕉は今からおよそ300年前、元禄2年の晩春に、門人曾良と奥の細道の旅にでました。最上町堺田から出羽の国(現在の山形県)に入り、尾花沢、扇塚(天童)、立石寺(山寺)、大石田、新庄、清川、羽黒山、月山、湯殿山、鶴岡、三崎山、温海で出羽路の旅を終えました。

みなさんも芭蕉がたどった山形路を旅してみませんか?

【松尾芭蕉ゆかりの地】堺田(山形県最上郡最上町堺田)

蚤虱 馬の尿する 枕もと(のみしらみうまのばりするまくらもと)

元禄2年5月15日、芭蕉は出羽の国の「封人の家」で2泊しました。封人の家は江戸時代の初期に立てられたといわれ、国の重要文化財に指定されています。昭和48年に復元され、家屋内には「奥の細道」の関係資料の他、馬具などが展示、一般公開されています。

【松尾芭蕉ゆかりの地】山刀伐峠(山形県最上郡最上町・尾花沢市)

高山森々として、一鳥声きかず、木の下闇、茂りあひて、夜行くがごとし…(奥の細道より)

山刀伐峠(なたぎりとうげ)は、芭蕉が奥の細道で最大の難所と記した峠で、現在は歴史の道として散策道が整備され、芭蕉の旅を偲ぶ貴重な史跡となっています。

【松尾芭蕉ゆかりの地】尾花沢(山形県尾花沢市)

涼しさを 我宿にして ねまる也(すずしさをわがやどにしてねまるなり)

芭蕉は尾花沢で、旧知・親交のあった鈴木八右衛門を訪ね、10日間滞在しました。地元の諸俳士との交流もあり、養泉寺の境内には句碑が建てられています。尾花沢市内の「芭蕉清風歴史資料館」では「奥の細道」や芭蕉に関わる資料を展示しています。

【松尾芭蕉ゆかりの地】翁塚(山形県天童市)

眉掃きを 俤にして 紅花の花(まゆはきをおもかげにしてべにのはな)

尾花沢から山寺に向かう途中、芭蕉が立ち寄った念仏寺の跡が天童市の舞鶴山麓にあり、翁塚の碑が建てられています。また、天童市郊外の石倉の旧道には句碑があります。芭蕉が訪れた頃(陽暦7月13日)にも、可憐な紅花が咲き誇っていたことでしょう。

【松尾芭蕉ゆかりの地】立石寺(山形県山形市)

閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声(しずかさやいわにしみいるせみのこえ)

夏の暑い盛りに立石寺(山寺)を訪れた芭蕉は、堂々を巡拝しその荘厳美にうたれ、数々の名句を残しています。山寺は貞観2年(860年)に慈覚大師によって開かれた比叡山延暦寺の別院で、老杉の中にいくつもの奇岩やお堂が点在し、山全体が景勝地になっています。

【松尾芭蕉ゆかりの地】大石田(山形県北村山郡大石田町)

五月雨を あつめて涼し 最上川(さみだれをあつめてすずしもがみがわ)

山寺での一日を楽しんだ芭蕉は、大石田の俳人高野一栄に迎えられ、日和を待って最上川に遊び、新しい俳諧の指導にあたりました。芭蕉と地元の俳人が詠んだ歌仙「さみだれを」の一巻が残されています。

【松尾芭蕉ゆかりの地】新庄(山形県新庄市)

水のおく 氷室尋る 柳哉(みずのおくひむろたずぬるやなぎかな)

大石田を後にした芭蕉は、尾花沢で知り合った渋谷甚兵衛宅に2泊し、歓待を受け、地元の俳人と巻いた歌仙を残しています。また、旧羽州街道の新庄城下南入り口には芭蕉史跡があり、句碑が建てられています。

【松尾芭蕉ゆかりの地】清川(山形県東田川郡庄内町)

五月雨を 集めて早し 最上川(さみだれをあつめてはやしもがみがわ)

大石田の高野一栄方に滞在中、四吟歌仙の発句として作ったものの改作です。初案は「集めて涼し」で、涼しい風を運んでくる最上川の豊かさやさしさを表現しました。しかし、本合海から急流の最上川下りを体験し、「涼し」を「早し」に改め、最上川の豪壮さ、激しさを表記しました。川岸の関所跡に芭蕉の句碑と像が建っています。

【松尾芭蕉ゆかりの地】羽黒山(山形県鶴岡市羽黒町)

有難や 雪をかほらす 南谷(ありがたやゆきをかおらすみなみだに)

清川から羽黒山へ向かった芭蕉は、呂丸の案内で羽黒山中腹の南谷別院に旅装を解き、別当代の会覚阿闍利(えがくあじゃり)から大変なもてなしを受け、7泊しています。羽黒山の参道には特別天然記念物の杉並木や国宝の五重塔があり、荘厳な雰囲気を醸し出しています。

【松尾芭蕉ゆかりの地】月山(山形県鶴岡市羽黒町)

雲の峰 幾つ崩れて 月の山(くものみねいくつくずれてつきのやま)

芭蕉は、羽黒山滞在中、出羽三山の最高峰である月山頂上の月読命(つきよみのみこと)をまつる御室を拝し、頂上小屋に1泊した後、湯殿山へと足を伸ばしました。主峰月山は、山形県の中心部に位置し、まさに「雲の峰 幾つ崩れて 月の山」の句にふさわしい眺望です。

【松尾芭蕉ゆかりの地】湯殿山(山形県鶴岡市羽黒町)

語られぬ 湯殿にぬらす 袂かな(かたられぬゆどのにぬらすたもとかな)

湯殿山は、出羽三山の奥の院といわれ、本殿、拝殿がなく、熱湯を湧出する赤い巨岩がご神体となっています。その昔から「言うなかれ、語るなかれ」と戒められた掟の厳しい神域で、芭蕉はこの句を読んでいます。

【松尾芭蕉ゆかりの地】鶴岡(山形県鶴岡市)

めずらしや 山をいで羽の 初茄子(めずらしややまをいではのはつなすび)

月山、湯殿山、羽黒山の出羽三山巡拝を終え、芭蕉は鶴岡の長山重行邸に赴きました。そこで名物「民田茄子」をいただき、その風味が忘れられずに詠んだ「初茄子」の句が残されています。一行は長山邸に3泊した後、内川乗船所から酒田へ向かいました。

【松尾芭蕉ゆかりの地】酒田(山形県酒田市)

暑き日を 海に入れたり 最上川(あつきひをうみにいれたりもがみがわ)

鶴岡の長山邸を後にした芭蕉は、日本海に注ぐ最上川河口に発達した港町である酒田を訪れます。酒田の藩医で俳人の伊藤玄順を訪ね、この地では象潟行きと前後し9泊して、滞在中には句会が開かれています。

【松尾芭蕉ゆかりの地】三崎山(山形県飽海郡遊佐町吹浦)

あつみ山や 吹浦かけて 夕涼み(あつみやまやふくうらかけてゆうすずみ)

芭蕉が酒田から象潟へ向かうおり通った岬峠は、日本海に突き出た三つの岬からなっており、現在三崎公園として散策道整備され岬の突端から日本海に浮かぶ飛島(とびしま)を望むことができます。また、林の中には敷石の旧道が保存され、当時の面影が偲ばれます。

【松尾芭蕉ゆかりの地】温海(山形県鶴岡市湯温海)

三瀬より温海へ三リ半。此内、小波渡・大波渡・潟苔沢ノ辺ニ鬼かけ橋・立岩、色々ノ岩組景地有。(奥の細道より)

酒田を離れた芭蕉は、大山を経て海岸の景観を眺めながら温海に入り、浜温海(旧温海村)の鈴木惣左衛門宅に宿泊しています。翌日、曾良は温海温泉に立ち寄り、先に越後路に入った芭蕉の後を追いました。

参考リンク
山形県観光情報ポータルサイト「やまがたの旅」
http://yamagatakanko.com
トップページ → モデルコース → 特集「芭蕉の足跡を辿る/奥の細道」