ホームページ制作会社東北ウェブが、秋田の名産・特産品をご紹介します。
米(あきたこまち)
秋田の米の生産量は60万トン。新潟、北海道に次ぐ全国3位を誇る「米」
秋田県は、西は日本海に面し対馬海流の恵みを受けて東北地方では温暖といえます。東は南北に連なる奥羽山脈が「やませ」をさえぎり、山越えした寒風は、フェーンの風に変化して8~10度も温度が高くなります。これを地元では「宝風」と呼んでいます。また大部分のたんぼは、盆地の中にあって、昼と夜の温度差が大きく、稲の育ちと実りに好適な条件を備えています。さらに良質で豊富な水にも恵まれています。これらが秋田を「米どころ」にしているゆえんなのです。
昭和59年(1983)、コシヒカリを母とし、奥羽292号を父とする「あきたこまち」が誕生しました。両親以上のつやと粘りの強い個性を持ち、秋田で作れる早生化に成功した、秋田を、そして日本を代表する品種です。名前の由来は、平安時代前期の女流歌人で、絶世の美人といわれた小野小町にちなんで名付けられました。日本各地に数々の伝説が残されている小野小町ですが、その生誕地は、秋田県雄勝郡雄勝町小野(現在の湯沢市)とされています。
比内地鶏
余分な脂肪が少なく、コクと風味を持つ「比内地鶏(ひないじどり)」
比内鶏は、古くから秋田県北部で飼育されていた洋種の入らない、純粋な日本地鶏のことで、昭和17年(1942)に天然記念物に指定されています。
比内地鶏とは、天然記念物由来の秋田比内鶏を父に、母方にロード種を交配した地鶏のことを言います。その特徴は、余分な脂肪が少なく、適度な歯ごたえと風味を持ち、噛みしめるほどにコクと香りを楽しむことができることです。きりたんぽ鍋には欠かせない食材として、また首都圏では、「比内地鶏を使用」と銘打った焼き鳥店をよく見かけるようになりました。
とんぶり
唐(とう)からきた「ぶりこ(ハタハタの卵)」に似たもの=とうぶりがなまったもの「とんぶり」
とんぶりは、ほうきぎ(はきぎ、ねんどう、あかくさ等)の実を乾燥させ加熱加工したものを言います。ほうきぎは、平安時代初期に中国から渡来した植物で、実を薬用とするほか、乾燥させると良質な箒(ほうき)ができることから、農家の庭先などで作られていました。江戸時代の書物「農業全書」には、ほうきぎの葉や若芽を料理に使うことや、「本朝食鑑」には、実を炒って食べることが記載されていますが、一般的には食用よりも箒用が中心だったようです。
とんぶりの製法がいつどこで生まれたのか不明ですが、古くから秋田県北部の特産でした。実を食べられる状態にするには、かなりの手間ひまがかかります。現在では、袋詰め、ビン詰め、真空バックなどがでまわって、首都圏でも良く見かけるようになり、「畑のキャビア」として親しまれてきています。
食べ方は、和え物が一般的ですが、くせがなく淡泊な味なので、和風に限らずドレッシングやマヨネーズなどとも良く合い、利用範囲の広い食材です。秋田県北部では、精進料理に欠くことのできない材料です。
じゅんさい
独特なヌメリとツルリとした食感、ヘルシーな自然食品「じゅんさい」
じゅんさいは、スイレン科の多年草の水草で、古名は「ぬなわ」と言い、万葉集にも歌われるなど、夏の季語としても使われてきました。「ぬなわ」とは、沼などに群生し、長く伸びた葉柄(浮き葉と根茎の間の部分)が、縄に似ていることに由来しています。
秋田県山本郡山本町(現:三種町)は、稲作の減反に対応し、豊富な水と肥沃な土壌を活かした転作作物として、じゅんさいの産地化を目指し、生産量日本一となりました。平成11年の生産量は629トンと、国内生産量の7割以上を占めています。
じゅんさいの収穫は、小舟に乗って若芽をひとつひとつ手で摘み取る作業です。収穫期は5~9月上旬で、寒天質が厚いほど上質とされています。食べ方は、酢の物、吸い物、鍋、天ぷらと様々ですが、いずれもぬめりが落ちないように下ごしらえすることが大切です。
古くからじゅんさいは、抗ガン作用や解熱、解毒、胃弱を治す、腫れを消す、などの効果があるといわれています。また100gあたりのカロリーは、6.0kcalと他の食物と比べて非常に少なく、ヘルシーな自然食品としても注目を集めています。
ハタハタ
秋田音頭にも歌われた秋田県の魚「鰰(はたはた)」
ハタハタは、普段(産卵期以外)水深250m前後の深海底で生息していますが、12月頃、雷を伴った荒天となり、時化で海水が攪拌されて水温が12度以下になると、産卵のために沿岸の藻場にやってきます。秋田の風物詩、ハタハタ漁の始まりです。産卵は、ホンダワラ類の茎にゴルフボール大の形をした1個あたり1,000粒ほどの卵の固まりで、「ぶりこ」と呼ばれています。
古くは安土桃山期の大名、秋田氏の時代の「秋田家文書」に、ハタハタが年貢の対象になっていたことが記されています。また江戸時代の寛文3年(1663)、藩主佐竹義隆の時代に成立したと言われる「秋田音頭」にも「秋田名物八森鰰男鹿ではぶりコ」と親子で歌われています。
ハタハタは、一般の魚と異なり、鱗(うろこ)がないので、頭さえ取ればすぐに煮たり焼いたりして食べることができます。秋田では、昭和40年代までは大量に漁獲されたため、各家庭では、干物・すし・しょっつる等に加工して、冬から春までの保存食として利用してきました。
昭和40年代には、2万トン前後の漁獲量があったのですが、昭和50年代になると1万トンを割り込み、59年には74トンしか獲れなくなりました。ハタハタの滅亡を恐れた漁民は、平成4年(1992)から3カ年、全面禁漁を行い、その間秋田県産のハタハタは一匹も市場に出回りませんでした。また秋田県水産振興センターでは、ハタハタの資源管理、藻場造成、種苗生産(稚魚をつくること)を促進し、ハタハタの増加が確認できたため、平成7年からは漁獲量の上限を決めて操業を行っています。
秋田フキ
「秋田音頭」に歌われている「秋田フキ」
秋田フキは、茎の長さ1.5m以上、葉幅1m以上にもなる、フキの亜種です。秋田から岩手、青森、北海道、さらには北方四島、千島、樺太などに自生しています。
その特異な大きさのためか、秋田フキには、いくつかの逸話や伝説が伝えられています。江戸時代の享保年間(1716~35)、秋田藩主佐竹義峰は、傘の代わりになるような大きな蕗があるとお国自慢をしたところ、他国の殿様は誰も信じようとしなかったので、義峰は憤然として刀を抜こうとしたそうです。なんとか思いとどまり後日、秋田の国元からフキを江戸に取り寄せ、他国の諸侯に見せたところ、驚き陳謝したという言い伝えが残されています。
また「仁井田のふき姫」という話は、「女は近づくな」という掟のあった泉に、父親の病を治したい一身で水を汲みに行ったふき姫が、泉の主である巨大な白蛇にさらわれてしまうお話です。元気になった父親が泉の水際に咲いていた花を村に持ち帰り、「フキ」と呼んでいなくなった娘のように育てたところ、茎は人の背よりも高く、葉は大きく傘の代わりになるほどであったということです。このフキは、風味がよくて食用、薬にもなり、村は豊かになったというお話が伝わっています。
現在では、秋田フキを栽培している農家は数軒となってしまいましたが、砂糖をまぶした菓子や自家製の保存食としてだけでなく、フキ染めのハンカチなどの商品開発も行われています。