秋田県の伝統工芸品

秋田の伝統工芸品 樺細工

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【秋田の伝統工芸品】樺細工

200年の伝統に支えられた手づくりの粋「樺細工」

秋田県角館の樺細工は、江戸時代中期の天明年間(1781~88年)に武士の手内職として始まり、「桜皮細工」とも呼ばれています。
昭和17年、角館を訪れた近代民芸の研究家、柳宗悦(やなぎむねよし)は、樺細工を「日本の樹である桜が皮として使われる日本固有のものである」と、国際的視野から評価しています。国の伝統的工芸品にも指定されています。
製造技法によって、「型もの」「木地もの」「たたみもの」の3種に分類できます。
「型もの」は、「仕込み」とも呼ばれ、木型に合わせて芯になる材料を作り、その上に樺を張りつけた筒状のものを言います。古くはタバコ胴乱や印籠、現在では茶筒や棗(なつめ)が代表的な商品です。
「木地もの」は、主として箱型のものを木地ものと呼んでいます。下地の木に樺を貼った細工物のことで、硯箱、宝石入れからテーブル、茶箪笥などの大物まで、日常用品の様々な商品があります。
「たたみもの」は、何枚もの樺を重ね合わせることを言い、古くは胴乱や印籠の根付けを作る技法でした。現在では、重ね合った樹皮の断層断面の層状になったものをアクセントにした、渋さが身上の装身具として、ブローチ、タイ止め、ペンダントなどに応用されています。

お問い合せ先:角館工芸協同組合
TEL:0187-53-2228
所在地: 〒014-0352 秋田県仙北市角館町外ノ山18

【秋田の伝統工芸品】川連塗

豊富なブナ・トチ等の原木を使った実用漆器「川連塗」

川連塗の歴史は、12世紀後半に稲庭地方の城主、小野田氏が家臣や農民の内職として武具に漆を塗らせたことが始まりと言われています。また平泉の藤原氏が滅びた時に、落ちのびた漆工木地師が教えたものとも言われています。
産業の基盤がつくられたのは、約400年前といわれ、日用雑器としてのお椀づくりが始まったことが、記録に残されています。このことから現在も、その生産の6割が椀類です。
製造工程は、「原木」「木取り」「荒挽き」「乾燥」「仕上げ挽き」と続き、下塗りとして「渋下地」「蒔地」「漆本下地」、中塗り、上塗りと進み、「沈金」「蒔絵」で完成します。その間、30工程があり、特に柿渋汁や生渋を木地に直接塗る下塗り技法は、川連塗独特なものです。

お問い合せ先:秋田県漆器工業協同組合
TEL:0183-42-2410
所在地:〒012-0105 秋田県湯沢市川連町大舘中野142-1

【秋田の伝統工芸品】曲げわっぱ

天然秋田杉の柾目(まさめ)と香りが冴える「曲げわっぱ」

大館曲げわっぱは、きこりが杉柾で曲物の器を作ったことに始まったとされています。江戸時代に大館城主、佐竹西家が領内の豊富な秋田杉に着目し、武士の内職として勧めました。また農民には年貢米の供出代替として、山から城下まで原木を運搬させたと伝えられています。
一時期、プラスチックの出回り等により職人たちの転向が相次ぎましたが、近年では本物志向の風潮により、シンプルで優美な器として、多くの人に愛されています。
製造工程は、「原木」「製材・部材取り」「煮沸」「曲げ加工」「乾燥」「接着」「桜皮とじ」「底入れ」「仕上げ」「塗り」の順で、製品となります。原木は、樹齢200年以上の天然秋田杉が用いらてきましたが、自然保護を目的に平成24年度をもって伐採が禁止となったことを理由に、原木の在庫利用を除くと今では原材料のほとんどが「秋田杉」となっています。
製造地域は、秋田県大館市です。昭和55年、国の伝統的工芸品に指定されました。
主な商品は、盆、小皿、小物入れ、弁当箱、おひつ、柄杓、アイスペールなどがあります。

お問い合せ先:大館曲げわっぱ協同組合
TEL:0186-49-5221
所在地:〒017-0842 秋田県大館市字大町29-1

【秋田の伝統工芸品】杉桶樽

整った木目の秋田杉と手づくりのぬくもりを持つ「秋田杉桶樽」

天然秋田杉とは、樹齢150~200年以上の天然材のことを指します。古くは豊臣秀吉の京都伏見城建築用材や軍船の用材として、秋田から敦賀まで海上輸送されるなど、秋田杉の価値は全国的に知られていたようです。
秋田杉の特徴は、大径材が多く節のない幅の広い製材品が得られること、木材の色が鮮やかな淡紅色または淡黄紅色で優美なこと、成長が均一なので年輪幅がそろい木目が細かく美しいこと等があげられます。 天然秋田杉は、木曽のヒノキ、青森のヒバとともに日本三大美林の一つとして、秋田県米代川流域に産します。
日本では、容器といえば、そのほとんどが木製でした。秋田杉を使った桶や樽づくりの歴史は古く、平安時代に建造された秋田城跡からは、桶の破片が発掘されています。江戸時代には、秋田藩主の奨励・保護のもと、産地形成がなされ樽屋仲間の掟が定められます。明治時代には、頑丈な秋田杉桶樽の人気が高まり、どの家庭でも洗濯用の盥(たらい)やごはんを入れるおひつがありました。
「桶」は柾目(まさめ)の材料を使い、おひつなどの固定した蓋のないもの、「樽」は板目の材料を使い、酒樽などの固定した蓋のあるものを言います。
近年では、伝統的な日常容器とともに、美しい木目、木肌を活かしたインテリア商品など、様々な用途の製品が作られています。
製造地域は、秋田県能代市、大館市、南秋田郡五城目町、八郎潟町、横手市大森町などです。昭和59年には、国の伝統的工芸品に指定されています。

お問い合せ先:秋田杉桶樽協会
TEL:0186-48-4153
所在地:秋田県大館市釈迦内字土肥17-3(有限会社日樽)

【秋田の伝統工芸品】銀線細工

400年の歴史を誇る繊細優美な手工芸「銀線細工」

江戸時代、当時貿易港だった長崎県の平戸に、オランダ人が伝えた銀細工。これが秋田に伝わったのは、初代秋田藩主佐竹義宣公が慶長7年(1602)に常陸国から秋田に移封されたときに、金銀細工師を伴ってきたのが始まりとされています。当時は、武具の飾りやかんざしが作られ、明治・大正時代には髪飾りがさかんでした。現在はブローチやペンダントといった洋装のアクセサリーが制作され、秋田市指定無形文化財および県の伝統的工芸品に指定されています。
秋田は、古くから鹿角、阿仁、院内など、金銀銅の鉱山に恵まれ、奈良の大仏建立には秋田から運ばれた金が使われたという記録も残っています。
秋田銀線細工の特徴は、0.2mmの細い銀線を寄り合わせ、花や蝶などを題材に、手先と簡単な道具だけで様々な形を作り上げていく技法にあります。
製造工程は、「銀線」「線より」「ロールかけ」「平戸つくり」「わくを作る」「平戸入れ」「ロウ付け」「寄せ合せ」「色上げ」「仕上げ」の順に、一点ずつ丹念に仕上げられていきます。
材料の銀は、白さを出すため純銀を用います。かつては国産(秋田産を含む)の銀を使っていましたが、現在は100%輸入に頼っています。

お問い合せ先:秋田市工芸振興協議会
TEL:018-866-2112
所在地:〒010-0951秋田県秋田市山王1-1-1秋田市工業振興課内

【秋田の伝統工芸品】秋田八丈

鮮やかな色調と気品ある渋さが調和する「秋田八丈」

秋田八丈は、200年という歴史を持つ伝承草木染めの絹織物です。奥州伊達郡(現・福島県)から、養蚕や織物技術に秀でた人物が秋田に移り住んで来たことから始まります。当時の秋田藩は殖産産業を奨励し、また上州桐生(現・群馬県)から技術者を招いて織物技術を伝承していったといわれています。
秋田八丈の染め原料は、全て植物で、ハマナスの根からは茶色、ヤマツツジの葉からは赤みのある黄色、カリヤスの葉からは青みのある黄色を絞り出します。特にハマナスは、海岸部に自生している秋田産のもので、日本海から吹き付ける風や雨が、良い色素を持った根を育てるのだそうです。
このように奥州伊達の機道具と織技法、上州桐生の縞織物と色彩、そして秋田の染め技術が融合して秋田八丈は生まれました。
最盛期の明治27年頃には、秋田市内に27、8軒もの機業場があったそうですが、大正時代末の恐慌などにより次々と閉鎖され、昭和4年以降はだた一軒だけとなりました。平成15年に秋田市にあった唯一の工房が操業を停止し、その歴史はいったん幕を下しましたが、平成18年に北秋田市で復活を果たし、現在では北秋田市の「ことむ工房」が県内では唯一の生産者となっています。
日光やアルカリなどに強く、洗うほどに色艶を増していく、その美しさと堅牢性は、高く評価されています。
主な商品は、着物地のほかに、風呂敷、ネクタイ、財布、ペンケース、名刺入れなどがあります。

お問い合せ先:(有)ことむ工房
※見学を希望される方は必ず事前にご連絡ください。
TEL:0186-62-0118
所在地:〒018-3301秋田県北秋田市綴子字戸草沢29