青森県の歴史と風土【津軽と南部】

青森県の歴史と風土 弘前城

青森は、元々南部藩津軽藩で、文化も全く異なる2つの地域として成立していました。また、日本海側の津軽地方と太平洋側の県南地方で大きく気候が異なるため、生産される農作物の違いや、歴史的に異なる文化が培われてきました。

青森・津軽地方

津軽とは

津軽とは、江戸時代に津軽氏が支配した領域(弘前藩・黒石藩の領域)および津軽郡の領域を指して「津軽地方」といいます。津軽地方は、弘前市を中心とした「中南津軽地域」、五所川原市を中心とした「西北津軽地域」、青森市を中心とした「東青津軽地域」の3つの地域で構成されています。岩木川がつくる豊かな大地、津軽平野を中心に栄えてきました。

津軽の歴史

中世には岩木川河口の十三湊(とさみなと)が貿易で活況を呈し、北海道と本州との交易拠点として栄えました。その後、江戸時代には日本海側の鰺ヶ沢・深浦などが北前船の寄港地となって栄え、特に、鰺ヶ沢は津軽産米の積出港として、最も重要視されました。内陸では、弘前城を中心に城下町が築かれ、明治の廃藩置県により県庁が青森市に置かれるまで、弘前が津軽の中心都市でした。

津軽の文化・観光

「青森ねぶた」「弘前ねぷた」「五所川原立佞武多」など夏の祭りが定着していますが、地面に積もった粉雪が強風で舞い上がる地吹雪を体験できる「地吹雪体験ツアー」も冬の風物詩となっています。 世界遺産となった白神山地など雄大な自然や、日本最大級の縄文時代の遺跡などを有する津軽地方は、観光地として集客能力を増しています。

津軽の農林水産物

津軽地方で生産される主な農産物にはりんご、米、メロン、すいかなどがあります。生産量全国一位のりんごは、弘前市一円の中南津軽地域で特に多く作られています。五所川原周辺の西北津軽地域では、砂地の特性を生かしたメロンやすいかなども生産されています。また、津軽半島北部に位置する十三湖は良質な大和しじみの主産地として近年注目を集めています。

津軽の食文化

大根や人参、山菜を使った「けの汁」、ほたての貝殻を鍋代わりに卵とみそを溶いて作る「貝焼きみそ」、鱈をまるごと使った「じゃっぱ汁」などの郷土料理が知られています。また、近年は黒石市の「つゆ焼きそば」なども話題となっています。

青森・南部地方

南部(青森県)とは

南部とは、江戸時代に南部氏が支配した領域(盛岡藩・七戸藩・八戸藩の領域)の青森県内部分を指して「南部地方」といいます。 南部地方は、八戸市を中心とした「三八地域」、十和田市を中心とした「上北地域」、むつ市を中心とした「下北地域」の3つの地域で構成されています。

南部の歴史

南部氏の領地として発展してきた南部地方は、かつて南部駒(馬)の生産地として知られ、各地に牧場がありました。七戸町、三戸町などには城が建築され城下町として、また奥州街道の宿場町として、物資の往来も盛んでした。 また、明治期以降は太平洋航路の拠点として八戸市が港として栄え、現在も国内有数の漁業基地となっています。

南部の文化・観光

「三社大祭」「えんぶり」は歴史ある祭りとして有名です。南部地方を中心に行われる冬の伝統行事である「えんぶり」は、昭和54年には国の重要無形民俗文化財に指定されています。また、農家では母屋と馬のいる厩(うまや)がつながった「南部曲家」と呼ばれる独特の建築様式が見られ、馬を家族のように大切に扱う文化がありました。 釜臥山(かまぶせやま)を最高峰とする恐山山地が広がる下北半島は、ニホンザル、ツキノワグマ、ニホンカモシカなどの北限生息地となっています。

南部の農林水産物

南部地方では豚、鶏、牛などの畜産農家が多く、また、やませの影響を受けにくい作物として、ながいも、にんにく、ごぼうなどの根菜類が多く作付けされています。また、八戸港を中心に、スルメイカやサバなどの漁業が盛んな地域でもあります。

南部の食文化

厳しい気象条件のため、米より畑作のあわやひえなどの雑穀、そば粉、麦粉を使った料理が多くみられます。郷土料理では、「せんべい汁」「そば串餅」「ひっつみ」などがあります。下北地域では「べこもち」「けいらん」などの郷土料理があります。また、三八地域の沿岸部では「いちご煮」が有名です。

津軽と南部は仲が悪いのか?

青森県は南部と津軽というように、大きく2つの地域に分けられ、お互いに仲がよくないように言われていますが、なぜでしょうか?
江戸時代に違う藩だった地域が、明治時代になって一つにまとめられたことに主な要因があると考えられます。 南部地方と津軽地方では、現在でも地域性に様々な違いが見られて興味深いところです。その原因は気候や地形の違いなどいろいろ考えられますが、この2つの地域が江戸時代の約260年間、違う藩の領地だったことも原因の一つとして見逃せないでしょう。
それぞれの藩主である南部氏と津軽氏の関係は、戦国時代末に津軽為信が南部氏から独立したことから始まり、 幕末の野辺地戦争に至るまで、決して良好とはいえませんでした。 現在もたまに言われる南部と津軽の対立感情は、もともと地域性の異なっていた2つの地域が、明治維新後の廃藩置県によって、青森県として1つにまとめられたことに根ざしているようです。
近世から近代へと時代が移るなかで引き起こされた2つの地域間での摩擦が、こういった藩主同士のいきさつと絡まり合って、一種の対立感情のようなものが生じたものと思われます。

出典:青森県庁ウェブサイト