八戸の文化財

【八戸の文化財】概要

八戸には、19件の国指定文化財があり、美術工芸品や建造物に加え、史跡・名勝・天然記念物、さらに民俗文化財など、その内容は多岐にわたっています。国宝には縄文時代の土偶(合掌土偶)と櫛引八幡宮所蔵の白糸威褄取鎧兜大袖付・ 附(つけたり)・唐櫃など3件があり、是川遺跡出土品963点を始めとする重要文化財は7件が指定されています。また重要民俗文化財は有形無形を含めて3件が指定されています。八戸三社大祭は、天候回復と五穀豊穣を願って藩政時代に始まり、法霊社(現おがみ神社)・新羅神社・神明宮の三社の古式ゆかしい神輿行列に各山車組で制作した豪華絢爛な山車が続きます。田植踊りの一種である八戸のえんぶりは、八戸市だけでなく周辺町村も含めた広い範囲で行われています。 八戸市北部、五戸川下流の右岸にあるのが縄文時代早期の長七谷地貝塚、新井田川の左岸には亀ヶ岡文化を代表する是川石器時代遺跡が、馬淵川流域には飛鳥時代から平安時代にかけての丹後平古墳群と中世の根城跡があります。これらの4史跡に加えて、市東部の太平洋岸にある蕪島ウミネコ繁殖地と種差海岸といった豊かな自然は、それぞれ天然記念物と名勝に指定されています。 このほか、489ヵ所の埋蔵文化財包蔵地が確認されており、旧石器時代から近世に至るまで連綿とした人々の営みの跡が残されています。また、県指定文化財は33件、市指定文化財70件を数え、さらに国登録有形文化財に 14 件の建造物が登録されています。

【八戸の文化財】国宝

青森県には国宝が3件存在しており、その全てが八戸市にあります。 掌を合わせたような独特なポーズが印象的な「合掌土偶」。また、豪華な装飾と色鮮やかな糸が目を引く鎧は、八戸の礎を築いた根城南部氏が総鎮守である櫛引八幡宮に納めたもの。菊一文字の鎧として有名な「赤糸威鎧」(あかいとおどしよろい)と、南北朝時代を代表する「白糸威褄取鎧」(しろいとおどしつまどりよろい)。当時の技巧の粋を集めた二領の鎧兜からは南部氏の隆盛と気品が感じられます。

合掌土偶

国宝「合掌土偶」は、八戸市郊外の是川地区にある風張1遺跡のうち、縄文時代後期後半と考えられる竪穴住居跡から発掘されました。土偶は、一般に完全な形をしているものが非常に少なく、どこか一部が欠損しているものがほとんどですが、合掌土偶は完全な形で残っています。脚部などの割れ口には、アスファルトを接着剤として繋ぎ合わせた補修の痕跡が明瞭にみられ、長く大切にされていたことがうかがわれます。また、土偶の顔面や体の一部に赤色顔料が認められ、当時は全体が赤く塗られていたと考えられています。造形的にきわめて優れており、両膝を立てて座り、手を合わせる姿勢をもつ土偶として現在のところ唯一の完成品であり、かつ出土状況も明らかな縄文時代を代表する作品として国宝に指定されました。(所蔵/是川縄文館)

赤糸威鎧

国宝「赤糸威鎧」は、鎌倉時代末期の典型的な鎧とされ、装飾の豪華さにおいて日本を代表する甲冑の一つと言われています。茜染めの組糸で黒漆塗の小札を威した赤糸威であり、随所に八重菊模様の金具を散らし、兜と大袖の八重菊枝文に力強い「一」文字の飾金物が施されていることから「菊一文字の鎧兜」とも呼ばれます。長慶天皇の御料と伝えられ、鎌倉時代の金工芸術の高さを示しています。(所蔵/櫛引八幡宮)

白糸威褄取鎧

国宝「白糸威褄取鎧」は、南北朝時代の代表的な鎧とされ、白糸を地糸に、紫・薄紫・黄・萌黄・紅糸などの糸を施した様は、気品の高さを感じさせます。根城南部氏・南部信光公が後村上天皇から拝領したものと伝えられています。(所蔵/櫛引八幡宮)

【八戸の文化財】史跡

是川遺跡

八戸市の南東部、新井田川沿いの台地に広がる縄文時代の遺跡。一王寺(縄文時代前期~中期)、堀田(中期)、中居(晩期)の三遺跡の総称で、このうち約 28,000 ㎡が、昭和32年7月に国の史跡に指定されています。さらに平成16年9月30日には、約 24,000 ㎡が追加指定されました。大正9年に泉山岩次郎・斐次郎両氏が中居遺跡を発掘し、縄文時代晩期の多数の土器・石器のほか、弓、飾り太刀、箆形木製品、籃胎漆器など通常では腐ってしまうような木製品が出土したことにより、学界から注目されました。その後両氏が八戸市へ寄贈した出土品の総数は約5,000 点余で、このうち633点が、昭和37年2月に国の重要文化財に指定されています。 平成 11 年からは縄文の里整備事業に伴い、再び中居遺跡の発掘調査が行われ、漆塗りの優品等が出土しており、このうち 330 点が、平成23年6月に国の重要文化財に追加指定されています。 これら出土品は、平成23年7月に開館した八戸市埋蔵文化財センター是川縄文館で収蔵しており、その一部は常設展示室にて一般公開されています。

指定区分
史跡
指定年月日
昭和32年7月1日・平成16年9月30日(追加指定)・平成25年10月17日(追加指定)
所在地
八戸市是川字横山1
管理団体
八戸市

根城跡

八戸市根城にある根城南部氏(八戸氏)の居城跡。建武元年(1334年)に南部師行の築いた城で、奥州平定の根本の城であるという意味から根城と命名したといわれています。寛永4年(1627年)に直義が遠野に国替えになるまでの約300年間南部氏の居城であり、本丸、中館、東善寺館、沢里館、三番堀等当時の面影を良く残しています。 昭和16年に国の史跡に指定されましたが、大部分は民有地であったため、八戸市で指定地約20万3,000㎡のうち主要部分14万9,000㎡を昭和47年から年次計画で買い上げ、昭和60年度から本丸を中心とした建物の復元整備が進められ、平成6年10月から一般公開されています。

指定区分
史跡
指定年月日
昭和16年12月13日・平成23年2月7日(追加指定)
所在地
八戸市根城
管理団体
八戸市

長七谷地貝塚

長七谷地貝塚(29,579㎡)は桔梗野工業団地の中に所在しており、縄文時代早期の貝塚遺跡として学術上重要視され、昭和56年5月に国の史跡に指定されました。 遺跡からは住居跡群や尖底土器、石器、骨角器等が発見されています。貝塚の貝は、ハマグリ、オオノガイ、ヤマトシジミが中心で、その中から魚骨、獣骨等が出土し、縄文時代の生活を知る上で重要な遺跡です。

指定区分
史跡
指定年月日
昭和56年5月25日
所在地
八戸市桔梗野工業団地三丁目
管理団体
八戸市

【八戸の文化財】重要文化財

櫛引八幡宮

櫛引八幡宮は古くから南部氏の祈願所であり、現在の社殿は南部重直が正保2年(1645年)から慶安元年(1648年)にかけて造営したものといわれています。ここに国宝及び重要文化財に指定された鎧が収蔵されており、とくに通称「菊一文字」といわれる赤糸威鎧・兜は奈良の春日大社にあるものと大鎧の双璧をなす逸品です。 また、郷土玩具として全国的に知られている八幡馬は、この神社の大祭に境内で売られたものです。

指定区分
重要文化財
指定年月日
平成5年4月20日
所在地
八戸市八幡字八幡丁3
所有者
櫛引八幡宮

清水寺観音堂

是川遺跡の近くにあり、天正9年(1581年)に建立された青森県内最古の木造建築です。 室町時代の禅宗様式を示す建築物で昭和55年1月国の重要文化財に指定され、昭和58年年6月に全面解体修理を完了しています。

指定区分
重要文化財
指定年月日
昭和55年1月26日
所在地
八戸市是川字中居18-2
所有者
清水寺

【八戸の文化財】重要無形民俗文化財

八戸のえんぶり

八戸えんぶりは、八戸地方に春を呼ぶ豊年祈願の郷土芸能。国の重要無形民俗文化財に指定されています。「えぶり」という田をならす農具を持って摺る(踊る)ことから、「えんぶり」と呼ばれるようになったと伝えられています。

指定区分
重要無形民俗文化財
指定年月日
昭和54年2月3日
所在地
八戸市・三戸郡
管理団体
八戸地方えんぶり連合協議会

八戸三社大祭の山車行事

八戸三社大祭は、八戸市内に所在するおがみ神社、新羅神社、神明宮の三社の合同祭礼で、三社の神輿行列とともに、町内などが毎年作り替えて奉納する大型で豪華な山車が行列を組んで市内を巡行します。

指定区分
重要無形民俗文化財
指定年月日
平成16年2月6日
所在地
八戸市
保護団体
八戸三社大祭山車祭り行事保存会

【八戸の文化財】天然記念物

蕪島

カモメの仲間で日本近海に多く見られるウミネコの繁殖地として、大正11年に国の天然記念物の指定を受けています。ウミネコ繁殖地は人里離れた断崖や孤島の場合が多いですが、蕪島のように市街地に近い繁殖地は稀で、自然環境を学ぶ絶好の場所になっています。繁殖期には、広さ約1.8ヘクタールの島を3万~4万羽のウミネコが埋め尽くします。

指定区分
天然記念物
指定年月日
大正11年11月7日
所在地
八戸市鮫町
管理団体
八戸市

【八戸の文化財】名勝

種差海岸

八戸市の海岸・三陸海岸に沿った景勝地。国の天然記念物蕪島の南から、葦毛崎、中須賀、釜の口、大須賀、白浜、深久保、種差海岸を経て大久喜に至る南北約12キロメートル、広さ約880ヘクタールの海岸地帯は、芝生地を背景にして巨岩怪石に波が砕ける白砂青松の地であり、また、貴重な植物や草花が春から秋まで色とりどりに咲き誇る「花の渚」として有名です。昭和12年に国の名勝の指定を、昭和28年に県立自然公園の指定を受けています。

指定区分
名勝
指定年月日
昭和12年12月21日
所在地
八戸市鮫町
管理団体
八戸市

【八戸の文化財】青森県重宝

八戸城角御殿表門

八戸城角御殿表門は寛政9年(1797年)に八戸藩の命により家臣の煙山治部右衛門が建立したもので、昭和53年2月28日に倒壊しましたが、昭和55年8月、創建時に近い形で復原されました。 昭和34年9月に「旧南部子爵邸表門」の名称で市指定文化財となりましたが、由緒・構造・建立・修理年代が明らかになったことから、昭和56年4月に青森県文化財「県重宝」に指定されました。
・構造型式 三間一戸棟門造 屋根栩葺型銅板葺

指定区分
県重宝
指定年月日
昭和56年4月18日
所在地
八戸市内丸3丁目3‐6
管理団体
八戸市
参考文献 文化庁https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/index_pc.html 国指定文化財等データベース