八戸の地名の由来
八戸以外にも、青森県にある「戸」の付く地名は、三戸町・五戸町(以上、三戸郡)・六戸町・七戸町(以上、上北郡)があります。ほか、岩手県には一戸町(二戸郡)、二戸市、九戸町(九戸郡)があります。四戸(しのへ)は現在はありません。これらの地域は、古代末期から中世にかけて「糠部郡(ぬかのぶぐん)」と呼ばれていた地域です。一から九の数字はこの糠部の中の地名として呼ばれたものが残ったと考えられています。八戸は「糠部」の中の8番目の「戸」ということを意味しています。ほか、「戸(へ)」の意味については、馬産地として知られていたこの地域の「牧場の木戸のあった場所」であるとか、「蝦夷(えみし)平定の際に残した守備兵の駐屯地(柵戸)」など、いろいろな説があります。
八戸の歴史
八戸は、縄文時代の遺物、遺跡が数多く発見されることから、数千年の昔から人々が生活していたことがうかがわれる。鎌倉時代、源頼朝が平泉の藤原氏を討ったとき、文治5年(1189 年)甲斐国南部郷の南部三郎光行が、軍功によって糠部(今の青森県三八上北地方)、久慈・閉伊・鹿角比内(今の秋田県大館市付近)の 5 郡を授けられた。これが南部氏の始まりで、その後、三戸に本拠を構えたという。
その後、建武中興のとき甲斐国波木井 はきいの地を領していた南部又次郎師行は、陸奥国国司北畠顕家に従って奥州に下り、国司の代理として糠部を管轄し、建武元年(1334 年)石懸村八森(現在の八戸市根城地区)に城を築いた。顕家はこれを「奥州を平定する根本の城である」と称したことから「根城」と呼ぶようになったといわれる。これが現在史跡に指定されている根城跡である。
根城の南部氏は5代にわたって南朝に忠誠を尽くし、この地を支配していたが、室町時代になって三戸の南部氏が勢力を盛り返し、安土桃山時代の慶長 4 年(1599 年)、居城を今の盛岡に移した。根城の南部氏はやがてその支配を受けるようになり、寛永4年(1627 年)には4代師行から22代直義まで19代にわたって住みなれた根城から岩手県遠野にところ替えになった。
その後、盛岡の南部重直は嗣子がなく没したため、幕府の命により10万石の領地を兄弟2人で8万石と2万石に分け与えて、八戸は弟の直房が支配し、ここに八戸藩が生まれた。以来、300年余りにわたってこの地方の中心都市として発達してきた。
近隣3町1村で合併した昭和4年(1929 年)の市制施行時は、八戸の人口はわずか5万人程度であったが、その後、隣接村との合併や昭和39年(1964 年)の新産業都市指定による急速な工業集積、都市化の進展、水産業の発展等と相まって、昭和41 (1966 年)には 20 万人台に達した。さらに平成13年(2001 年)には特例市に移行し、平成17年(2005 年)3 月には隣接する南郷村と合併し、現在は人口約 24 万人を数えるに至っている。
八戸市の沿革
八戸藩誕生
・八戸地方には、是川遺跡や長七谷地貝塚など数多くの縄文時代の遺跡が存在
・1334年、南部師行が石懸村八森(現在の根城地区)に城を築く
・1664年、八戸藩2万石が誕生し八戸城を中心に城下町を形成
八戸町誕生
・明治時代に入り、八戸町へ
・明治24年に現在の東北本線が開通し、尻内駅(現在の八戸駅)が開設
・大正8年に鮫漁港の修築
・セメント工場や化学、砂鉄工場などの立地により、戦前の工業の基礎を築く
八戸市誕生
・昭和4年八戸町と小中野町、港町、鮫村が合併し、人口5万人の八戸市が誕生。
・その後周辺町村との合併をへて、昭和33年現在の市域に
・昭和39年新産業都市の指定により、港湾整備、産業基盤の強化が進展
八戸の産業
八戸は全国有数の水産都市として知られる。江戸時代から交易の拠点として栄えた八戸港は、明治以降、漁港及び商港の近代化が進められ、昭和 14 年(1939 年)に開港指定、昭和 26 年(1951 年)に重要港湾に指定され、港の整備に拍車が掛かった。昭和 35 年(1960年)に特定第三種漁港に指定されたのを契機に、水産都市としての基盤整備が進められ、これまで6度、水揚げ量日本一を記録している。また、昭和 39 年(1964 年)の新産業都市の指定などにより、八太郎地区や河原木地区で港湾整備が進められ、紙・パルプ、非鉄金属、鉄鋼、食料品等を中心に、臨海型・素材型産業の集積が進んだ。現在では、北東北を代表する工業・物流の拠点都市として発展している。
一方、内陸部では、平成元年(1989 年)の頭脳立地法の指定などにより、八戸ハイテクパークとその中核施設である八戸インテリジェントプラザが整備され、青森県産業技術センター八戸地域研究所とともに、地域産業の高度化・高付加価値化が進められている。
農業については、野菜、花き、果樹、畜産など、八戸の地域特性を生かした多様な生産が展開されている。中でも、南郷区のそばやブルーベリー、市川地区のハウス栽培のイチゴなどは地域の特産となっているほか、畜産は臨海部の大規模な飼料コンビナートを背景に、八戸市の農林畜産業粗生産額の約6割を占めている。
八戸の位置
八戸市は、青森県の東南部に位置し、北はおいらせ町(旧百石町、旧下田町)及び五戸町(旧五戸町、旧倉石村)、西は南部町(旧福地村・旧名川町・旧南部町)、南は階上町及び岩手県軽米町に接し、東方は太平洋に面しています。
- 北緯
- 北緯40°30´
- 東経
- 141°30´
八戸の面積
305.56km2(資料:平成29年10月1日現在 国土地理院)
八戸の気候
八戸は東北地方の北部にありながら、太平洋側に位置しているため、冬は雪が少なく、日照時間が長いという特徴がある。また、春から夏にかけての冷涼な偏東風(やませ)が吹くことも八戸の特徴といえる。八戸のシンボル
八戸市の花、木、鳥などを紹介します。それぞれ八戸の自然環境の特徴がよく表れています。
八戸市の花:菊
八戸の花は「菊」です。八戸地方の菊には、食用の「阿房宮」と観賞用の「奥州菊」があります。阿房宮の香り高い風味、奥州菊の豪快さ、共に市民に親しまれています。(昭和47年10月制定)
八戸市の木:イチイ(オンコ)
八戸の木は「イチイ(オンコ)」です。主に、東北・北海道で自生する木で、古くから当地方では生垣をはじめ庭木、床柱などに利用されています。別名の“オンコ”は当地方特有の呼び方で、アイヌ語から出たものとされています。(昭和54年5月制定)
八戸市の鳥:ウミネコ
八戸の鳥は「ウミネコ」です。古くから市民に親しまれている鳥で、天然記念物に指定されている“蕪島”で繁殖しています。春、島に飛来し、5月中旬頃には、島全体に咲き誇る蕪(ナタネ)の花の黄色と数万羽のウミネコの白で、島全体がおおわれます。蕪島のように、市街地に近く、間近で営巣の様子を観察できる場所は世界でもめずらしいとされています。(昭和54年5月制定)